石垣一列で熊本城を支えた!
復旧には数十年かかるとのこと
まだ被災された方が日常を取り戻して見えません
災害と一言でいうには あまりに残酷です。
なにか 小さい事しかできませんが応援したいですね

 九州一周一人旅 走行距離 2040km


愛車のロードスターND マツダRED!




大分県を除くすべての県を走破してきました。
ほぼ一週間の行程です。
初日は諫早 二日目は雲仙〜島原 フェリーで熊本へ3日目は球磨から人吉で泊まる
翌日そこから霧島に向かい、鹿児島で散策して宿泊、翌日は知覧から指宿に
都城で宿をとり、翌日は綾町から宮崎へそこから日南にむかい
最後は志布志からフェリーに乗って大阪南港にわたり帰路につきました。



リンク文字をクリックしてね。

 1  美濃からスタート  2  長崎・諫早につきました  3  雲仙温泉郷で入浴したよ  4  島原城と具雑煮だ!
 5  熊本城!にきた  6 天草四朗・キリシタンン   7 不知火温泉!   8  球磨焼酎、松の泉さん。
 9 人吉の武家屋敷  10 霧島神宮と坂本竜馬 11  鹿児島、屋台村だぞ 12 指宿砂蒸し風呂だ 
13  知覧特攻飛行場  14 西郷隆盛維新館 15  宮崎綾町・そば焼酎雲海 16 サンメッセ日南海岸
17  志布志港から大阪南港にフェリーで帰路につきました。 



3月の14日美濃市をスタート! 早朝7時に出ました。
いざ 長崎諫早に向けて 全2000kmオーバーの旅の始まりです

今回のGASは宇佐美チェーン店で 一度も他店で給油することなく 帰宅できました。
ハイオクGASで 16k/Lでした。 満タンで600kオーバー 
そして運転中の足は投げ出した状態でしたから 疲労感はまったくありませんでした。

東海北陸自動車道から始まり 名神高速に乗り換え 途中でナビの音声を入れ忘れ
京滋バイパスに乗り損ね、京都を超えたあたりで最初の渋滞・・・・

次は神戸で再度の渋滞にあい、次に危なかったのは 中国道と山陽道のジャンクション!
直進が中国道だから、確認してないと 間違えますね!

最初の休憩場所が なんと広島!



広島と言えば 「日本三景」の一つでもある広島の名所「厳島神社」。
高速のパーキングに レプリカが立っていました、この向こうに広島湾が見えます そこから覗くと ↓



さすがの景色ですね。

そして 広島と言えば やはり! 牡蠣! 牡蠣! 牡蠣!



牡蠣尽くしです、すべて牡蠣で12個もありました。



外の飲食コーナーも ほとんど牡蠣ばっかし・・・・そして広島焼き!!
たまんねぇ。


九州に突入したのはもう5時過ぎでしたね
ここで 二度目の休息に、隣にとまったレクサス、横浜ナンバー。

横浜は遠いですね!と声を掛けたら
(昨日名古屋ウイメンズマラソンを 走り切り今朝名古屋から 帰宅するんです)  驚き!

そして行く先はなんと 同じ長崎でした。
タフな人でしたね。


九州に入り どうしても呼子のイカが食べたいので、お店に電話したら
冬場は水揚げも少なく 3時過ぎには無くなるとのこと、ほとんどのお店が7時には閉店しますとのことで

現在6時40分 間に合わないので我慢しました。

一番最初の目的地 諫早に途中で夕ご飯も食べて ホテルに着いたのは8時でしたね。

初日はここでお終い! 
お休みなさい・・・・




さあいよいよ九州だ!
長崎 諫早に到着しました。

およそ11時間の旅の疲れは 近在の居酒屋で 焼酎と共に流し込みました。



さっそくカウンターの上に置いてあった焼酎が目にとまりました。
本格麦焼酎 のんのこ ワイン酵母仕込 22°1800ml【宗政酒造/佐賀】

見るからに 美味そうでしたので すぐ一本購入しちゃいましたね。
何しに来たの??

そう!

焼酎を買いに来たんです・・・温泉と・・・・ははは

諫早にて所用があり二日過ごしていざ次の町に進もう!



雲仙にきた


雲仙 温泉でも有名な地域です。

諫早から ひたすた 山道を駈けあがり 峠をこえて島原に向かう途中に
雲仙温泉郷がありました。

その手前に 千々和村という場所の 山のなかの棚田です、山間部だからどうしても
この形状になるんですね。



綺麗な景色に おもわず車を止めて 展望台まで登ってきました。

この周りには多くの棚田があり、景観保全もかねて見どころが多いですね



ひたすら峠を上って来た頂上に湯けむりが・・・・


もうもうと立ち込める 湯気! 硫黄の匂いと熱気が風に乗って飛んできていました。


回廊のように山一つをすべて 歩けるように作り上げられていました。
ガイドもいて、1時間のロングコースと30分のショートコースがありました。

すでに出払っていたので 自分で散策することになりました。
途中で販売してた 温泉卵が美味しそうでした。



大叫喚地獄 その名の通り轟々と立ち上がる 煙と吹き出す音は 豪快でしたね。
いたるところに 見るポイントがありました。



雀地獄

ぴちぴち と あらたも雀が泣いているような 吹き出す音が鳴り続けていました。

かなり上のほうまで コースが設定してあって 結構運動になりましたよ
このど真ん中に 雲仙ホテルがありました。

地熱と 匂いが すさまじい勢いでした。
むかしは 有名な湯治場だったみたいですが、どんどんと寂れているそうです。

ここも他と変わらず 外国のお客様のほうが多いとのことでした。




ここで九州旅行最初の温泉!

雲仙よか湯!


早速入ってみました、親子が一組みえていました。
さっそく 声を掛けていろいろ お話を聞きました。
この近くの方で 良く入りに見えるそうですが この湯が一番いいよと 教えて頂きました。

旅は一番に人とのふれあいですので、これが最高に思い出になりますね。





島原城
余りにも有名な 島原の乱! 
その舞台になった島原城!
キリシタンの拠点にもなった あまりに悲哀を込めたお城でした。
ボランティアの人(おそらくむかし教員?)との 会話は30分以上にわたり
その後もお話を伺いながら タイムスリップをしていました。

美しいお城でした。



左は 雲仙岳 右は島原湾から 熊本がみえました。
真ん中は お城の案内人! かわいい熊本の女性でしたね。

城下町に降りると武家屋敷もありましたね



簡素な作りで 中に入るとまるで 今でもそこに武士がいるような・・・・



居た!!!

質素な生活の様子が よくわかりました。

表に出ると
道の真ん中に 水路がありましたね



延々と どこまで続くんだろう???
風情のある景色でした。
実際人がすんでいます。



島原名物 具雑煮!

姫松屋

一番有名なお店です、お城のすぐ下にありました。
お城の案内人の方に 聞いて来てみました。

中にいろいろな具材がてんこ盛りでした。
お餅もたくさん入ってて うまかったぁ




島原のかんざらし

白玉ぜんざいみたいですね

となりに並んでるのは 九州名物 地獄炊きの麺です!
ごく家庭的な こちらでいう にゅうめんですね。
お吸い物のような 飛魚出汁でつくる うどんです

結構すきかもね



雲仙岳を後にして カモメのお見送りを沢山受けながら
フェリーにのって いざ 熊本に向かいます!

次は 加藤清正の 熊本城!!!

楽しみだ


着いたぞ! 熊本だ!!


接岸の操作を目の当たりにしましたが、たった2名でロープを引きながら
絶妙な力加減で ドッグに入れています。
見とれちゃいました。

目指そう熊本城!

   
 外堀も広く 入口までは
遠く回っています
銀杏城とも呼ばれています
遠くに見えてきましたね
清正石垣も あるかなぁ
真っ黒なお城だと聞いています 
   
 入り口にて
お出迎えですね
熊本城のユルキャラ
 正門から入場してもまだ本丸までは
遠い!
余りに広い お城の中です
   
 上手く作ってありました
なかなか たどり着かない
いくつかの めぐる場所があります
 やっと 本丸正門前
ここから 入場しますが
からくりが ありますね
   
 しかし 見上げても
外からは 入るすきもない
堅固な城ですね
清正が まだ30代のころに築城!
かれは13歳で元服
14歳でもう戦で手柄を立てる
そして あっという間に駆け上がる

やはり20代が 一番力があったんだ
 いたるところに
外敵を侵入させない工夫が
よく見ると
石垣を上っても
逆さ鉄串が 牙をむいていますね

石落としも
鉄砲穴も
油落としも・・・・怖いね 

敵から身を隠しながら鉄砲や矢を
放つ小さな窓のことを狭間といい、
櫓(やぐら)や塀の壁に設けられています。
熊本城の狭間は長方形で長短2種類あり、
長いものが矢狭間(やざま)、
短いものが鉄砲狭間です。
櫓の角や塀の途中に設けられた
壁面の出っ張りが石落しです。
石垣を登ってくる敵に石を落とす仕掛けです。
   
 正門です
ここもよくテレビで紹介されますね
この柱の太さ
これは 一見の価値がある
闇がり通路
本丸御殿は2つの石垣を跨ぐように建てられたため、
地下通路を有する特異な構造となっています。

御殿への正式な入口であり 「闇り通路」と呼ばれてます
このような地下通路を持つ御殿建築は
全国にもあまり例がありません。
   
 対面所(藩主の会見の場)
圧巻の鶴の間一番突き当りにお殿様
後は畳一枚に2名?
120人以上がここに並び
謁見をする
武家社会の上下関係の順番
前のほうから 身分が高い
 当時のふすま
この絢爛豪華な絵画も
いたるところのに
ありました
隠し部屋や見えない部屋もありました
 
 突き当りの 殿様の席

この豪華さは 再現されたといえ当時としては 目を見張るものでしょうね
本丸御殿の中で最も格式の高い部屋で、慶長期の特色である鉤上段(かぎじょうだん)を設け、
室内は床の間や違棚、付書院などを持つ書院造りとなっています。

案内ボランティアのかたについて
回ることがおすすめです
 
 横にはいりこむと また豪華なつくりでした
正面の隠しふすまが
公開されませんが あるそうです
   
天守閣に登りました。
金峰山を遠くに臨み 市街地に囲まれて
かなり大きな都市ですね
その中心にそびえたつ熊本城は 市民の憩いの場所というのが
ぴったりの観光地ですね
ここも例外にもれず、外国の人が多くみえていました。

勤勉な日本人もたまには お休みしてみてもいいんじゃないのかなぁ
さあ 夜だ!
   
 熊本の定番 郷土料理

@馬刺し
Aからしレンコン
Bまきまき

基本的には馬刺しは好きではなかった
しかし
本場はさすがですね

うまい!

からしレンコンもここで食べたら
美味でした

まきまきとは
ネギを串に巻いて
甘味噌でたべる

こちらの ヌタの味でした
 春野菜の天ぷら!
僕は山菜が好きなので注文したけど

いまからおもうと

ここは天草が本店の
熊本銀座通りの支店

やはり海鮮を食べればよかった

   
 そうおもい
貝のお刺身

甲貝という
巻貝の造りです

こりこりとした食感も
美味しかったよ
海鮮サラダ
トリ貝やイカ
おいしかったぁ

ビール2本
7700円
ホテル代より高かったけどね
 

これは 次は天草にいかなきゃね

天草は海岸沿いの美味しいお店が一杯!

ちがう

天草四郎の里
キリシタン一揆

明日は見て来よう。



天草に来たぞ!



「オルレ」は韓国・済州島から始まったもので、
もともとは済州島の方言で「通りから家に通じる狭い路地」という意味。
自然豊かな済州島で、トレッキングする人が徐々に増え、
「オルレ」はトレッキングコースの総称として呼ばれるようになり、
今では韓国トレッキングの中心的コースになっています。
オルレの魅力は、海岸や山などを五感で感じ、自分のペースでゆっくりとコースを楽しむところにあります。

九州オルレは、済州オルレの姉妹版。
済州島と同じように九州には四季の美しい風景があり、
トレッキングに適した山岳を五感で感じ九州の魅力を再発見してもらいたい。



この小さな島で 行われたキリシタン一揆
天草・島原の乱!
数万の民が 一人残らず惨殺された あまりにむごい歴史の史実。

天草四郎時貞

全てのお話が 此処にある!

5つの橋を渡り 一つ一つに 時が駆け巡りますね。



海に浮かぶ島々 それらを繋ぐ 天草1号橋
これから順番にわたります。



ブンブン丸(むっちゃん命名)
ただ今1300k走行中 まだまだ元気な子です。
すごい快適な時間を過ごしています。

天草四郎メモリアル館 1時間ほど滞在しました、あまりに悲惨な出来事です
歴史は 確実に存在して、正義も必ず存在して、それでも理不尽も存在してて、
最後は 信念が行動のすべてを支配して 双方に言い分がありましたね

ただね 武力の解決にはあまりに多くの犠牲が伴うという事なんですね。

人は もって生まれた 知能という特技がある
そしてほかの動物にない 言語という 伝達技術がある

話せば解かる!

どうしてお互いに 話し合わなかったんだろう?


小さな正義で 自分達を正当化して相手を徹底的に叩き潰す。
それが正義だと 多勢で立ち向かう。

むかしも今も 行われていることは おんなじなんだね。




少し離れた所に なんと 水中水族館!  海の上に浮くローカルな小さな風情ある場所でした。
天草のメモリアル事務員の方に 聞いて来てみました。

かわいい施設でした。

おなかすいた・・・・


ここで また人に聞くというスタイルを突き通しています。
事ある毎に すみませーん!! 
これは なんですか?
これは どこですか??
これは 美味しいですか??

ははは 旅に出たら一番面白い部分だね。

お話は大好きだし 得意の分野だから、ついつい声を掛けてしまう。



天草2号橋のたもとにある 天慎

ウニが解禁になった初日にあたり ここはウニを頂かなきゃね!

後は 名物の春の コハダ寿司 だご汁と 海鮮サラダ

すごくリーズナブルな 美味しい料理でした。
天慎さんは 数店舗あり 美味しい和食のお店でした。


おなかも膨れたから 次は人吉に向かいます。
天草を後にして 一路海岸通りを 海風を感じながら 爆走です!

ブンブン丸が オープンで最高です。


不知火って 知らぬい?



天草のパールラインを離れて 一路 球磨郡にむかい海岸沿いをひた走る。
いかにも南国という感じでしょ
 ここでのBGMは やはり サザンオールスターズだね!

夏を感じながら ブンブン丸はフルオープンンで 風を切りましたね! きもちいーぃ・・・・・



海岸沿いにいきなり現れた 道の駅と 温泉!

不知火道の駅

すかさずお風呂に飛び込みました! これが一人旅の楽しみですね。
なんと海が見える露天風呂を擁して すこしショッパイ天然温泉でしたね。

すると 入口にこんな文字が書いてありました!


わかりますか??

どこかで僕に出会ったら この問題の答えを伝てください!
正解者には 豪華○○品を差し上げますからね。

僕はわかりませんでしたので、入り口の事務員にお聞きしました。

お風呂では現地の親子と 不知火のことを色々お聞きしました。

八代という地域はどこかで聞いたことはありませんか?
(歌手の矢代亜紀の出身地です)

不知火湾は海産物も豊富ですが、熊本のデコポン、これの別名は不知火というんですね。
ここがその発祥の地です。

隣の物産館で柑橘系と海産物を販売していました。


なんと 普通に生きたタコが・・・・



そうして これと出会いました。
皮も分厚く いかにも夏みかんのような手触り! いままでの僕の記憶からは 
これはスッパイ! 甘夏だとおもいました。

しかーーーーーーし


これがびっくりの 味。

熊本 はるか

この名前覚えててくださいね

帰宅後にすぐ ネットで3k購入しました。


おそらく食べたことのない味です。


説明はしませんから、どこかで出会えたら食べてみてね。ただし3月までです。




お風呂にも満足して お土産も購入して、ぶんぶん丸のトランクはいっぱいになりそうです。





さあ次の町 人吉にむかいひたすら 九州道を・・・・・
左に曲がると 公害で名を挙げた 水俣


いろいろな 歴史があちらこちらに残されてきていますね、悲しい歴史も数多くあります。
きちんと受け止めて 次の町に進みます。


さあ! 次は 焼酎蔵をめざし、人吉市に進みます。
義理の弟と呼ぶ 友人に紹介してもらった 有名な蔵を目指しています。

どんなところだろうなぁ・・・


すこし山の中に進みますね



球磨・・・・?





読める? キュウマ?  タマトギ? 
地名は色々な読み方があるから わからないね!

クマって 読むんだ!!  知らないからついでに言うと 熊本の熊って 本当は球磨これが元なの??

なんかそんなことを考えさせる 田舎の風景と看板を見ながら

のどかな田園風景と 遠くに見える山脈を見ながら 
目指す焼酎蔵の松の泉さんへ ひた走りです。



見つけた・・・・
田園の中を通り過ぎ 急に出てきた街並みのはじまりに どーん!!と建っていました。

本格球磨焼酎の松の泉酒造



今日は蔵見学の予約をしてて わくわくしながらすこし回り道で山間部に入り込んできました。



うっそうとした 木陰に守られるように幾つかの蔵が並んでいました。

日本最大急流のひとつである球磨川が流れる人吉・球磨地方は四方を深い山々に囲まれ、
寒暖の差が大きく、盆地全体が濃い朝霧で覆われることが多い土地です。
このように焼酎造りに適した自然環境のもとに現在28軒の酒蔵がそれぞれに味わい深い球磨焼酎を造っています。

これを回る旅でも楽しいだろうなぁ

この松の泉は HPにも紹介してありますが、水には拘り 多くの炭を地中深くに埋め込んで
不純物を取り除いて見えるそうです。

その技術はなんと、岐阜県の大垣市にある水質試験場(はっきりとは覚えていません)の協力で
作り上げたものだといわれました。
ここにも岐阜という言葉を聞いて驚きでした。




お店はきれいなレイアウトと お隣にはだご汁をお昼には出していただけるレストランも完備してました。

穏やかな人柄に お話を聞くうちに、なんとこの店からあの (ウッチャン・ナンチャン)の
内村さんのご生家ということがわかりました。

小さい時までここに見えて、のちに人吉に酒店をだされそこに、引っ越しされ
いまでもお正月には 帰省されるそうです、あのとおりの笑顔と穏やかさは

ここあさぎり町で育てられたものなんでしょうね。



穏やかなお話口調で お蔵を案内していただきました。
明治の8年と古くから営業されていて、その歴史の重さを感じました。

この地は、鎌倉時代から700年間、相良氏に治められてきました。
盆地という地形で、外からの影響を受けることなく、独自の文化が育ちました。
球磨・人吉の地で生まれ、飲み継がれ愛された球磨焼酎の歴史は500年です。
「松の泉酒造」は、創業以来「米・蔵・人・水」の伝統製法を頑なに守り抜いています。

ここの奥に戸板の部屋が・・・・なんと隠し部屋??

扉を開けると・・・・




いちばん右にある 一升瓶は1952年に作られたものです。
なんと僕が生まれた年のもの

左のほうには もっと古いものもあるとのこと

もうこれは市場には出ないし出せない
値段が付けれないとのことでした。

この蔵の宝物なんでしょうね。


ここでね案内をしていただいた林さんが 言って見えました。
自分の子供が生まれたときに 焼酎を購入をされたそうです。
それを息子が成人したら、その成人式の日に一緒に飲もうと思い、大事に保存して見えたそうです。

しかし 飲みそこねちゃって、まだあるとのことでした。
今度はお孫さんが生まれたときなんだろうな(凄)

こういう楽しみ方もあるんだろうな!


暖かいおもてなしと お土産も購入して 目標の一つであった蔵を後にして
次は 人吉の温泉をめぐります。

これもたくさんあるんだ。



9

さあ人吉だ! これといった予備知識もなく、ただ焼酎蔵の途中にある町で
ホテルがここしかない・・・・

もちろん旅館はたくさんありますが、なにせ宿泊所は6000円までと 決めていたので
ビジネスを前夜に探すと、どうしても検索に引っかからなく、ついつい目的地から離れますね。

ホテルを探してる途中に


この看板を見つけました!
九州に来て どうしても食べたい呼子のイカ・・・・
初日に食べそこなって 絶対食べてやろうと探してました。

しかし確か ホテルからは遠い!
だから ホテルで自転車を借りて 人吉の町のはずれまで、記憶を頼りに探しました。



見つけた!!

ほうらい茶屋(結構有名なお店らしいです)



なんと 生けすが3個並んでいました、左はアジ 正面はタイ 右はヒラメ エビ 足元には青魚色々

すごい沢山の活魚が泳いでいました。

今は正面ののぼりにある様に、一番の旬は 萬鯖! うまいよ!!
すかさず イカを諦める このいい加減さ



トロ鯖みたいです、抜群!
あとは 


焼き牡蠣
これが美味かった

このお店は ☆3つでしたね。


ご飯も頂いたので、ホテルに帰る途中にあった 温泉に入ります。



相良路の湯 おおが温泉

地元の人に聞いたら、ここが一押しです!
源泉かけ流しですし 古いですがいい湯ですとのことで 来てみました。



赤茶けたお湯と 蒸気にまみれた温泉でした、浴槽は3個で一番右が 一番熱い!

歯を食いしばり 我慢のお風呂です。

のんびりとつかり 旅の疲れも一段落でした。
ホテルに帰り 明日の人吉観光を 思いはせながら夜を迎えました。




おはよ

早速人吉観光です。



人吉城跡です、ここは相良氏によって 長く収められていたそうです。
記念館があり 当時のことを細かく紹介してありました。

入場料は200円ですが 平日ということもあり、お客さんは少なく のんびりと見学できました。
ビデオもあり、1時間はあっという間に過ぎました。

この城は天守閣をもたない城で 繊月城と呼ばれる所以の石とか
地下室が発見され 謎!とされていました。

このなぞは後で 武家屋敷の管理人から教えてもらい 目から鱗でしたね。



 
正面の門は西郷隆盛の西南戦争当時の物ということです。
このあたりの町内では その昔3か月ほど西郷隆盛が ここ人吉に住んでいて
近在の今も健在なおばあちゃんは 実際に散歩してる西郷さんに出逢ってるとのことでした。

あんな顔じゃない!!とのことです。

さてこの屋敷 門もさることながら 後ろの家は茅葺で中は その昔のままでした。
そしてなんと 少し前まで 住んで見えたそうです。

現在も個人の持ち物で 維持費管理費も個人持ちだそうです。
文化財指定を受けることは結構難しいとのことです。

後ろの屋根の萱をふき直したときも、修理費が10000000円もかかったそうです。



室内は 歴史の塊のような部屋でした。
この部屋は 4畳間です。

4畳半はよくありますが 4畳って 珍しいでしょ・・・・

(切腹の間)というんです、だから4畳間で よく見るとわかるんですが
上段の棚のしたが すこし奥に下がっていますのが解りますか??

これはね

切腹をして 首を落とした後に この棚に仕舞います。
そうして、血が後ろに流れ落ちるように、奥に下がっているそうです。

実際に首が入った後は 見当たらないとのことですが、昔の武家屋敷には こういう作りがあるそうです。



部屋から裏庭をみると この庭の作りもちゃんと意味があり
奥には富士山が 作ってある。

ここを収めた相良氏のお城の地下に 地下室がみつかり 復元されたけど 意味不明ということになってるが
ここの管理人さんは言われました。

当時キリシタン崇拝は禁止でした。
発表は 謎の井戸と言われ歴史館もはっきりとは言いませんでしたが

どうもここは お祈りをする礼拝堂であるなら 辻褄が合う。
公式に発表すると問題があるので 井戸とされているが 地下室に隠れてお祈りをしないと

幕府に取り上げられてしまう。

ここにも歴その謎が溢れていました。

そういう時間を過ごすことが このたびの一番素敵なところです。




農村レストラン  ひまわり亭
これも地元の人に紹介してもらいました。

地元野菜をふんだんに使い すごくロケーションも素敵でした。
なにより この子が可愛い!!

びっくりするような 瞳の美しさに 引き込まれました。
ついつい 長話しちゃいました。
このお店は大変混む店で、今日も車が止めれません・・・・

この子の案内で 従業員用の駐車場に案内してもらいました。

ラッキー続きです。


さあ 人吉も ここまでにして 次は坂本竜馬とお龍が 日本で初めて新婚旅行に訪れた

霧島神社にすすみます。




10

霧島神宮

お伊勢様が天照皇大神 霧島神宮の主祭神は・・・・・しらない。

知ってるのは 坂本竜馬がお龍と 日本で初めて新婚旅行参拝として 言った神社だということです。

人吉から 霧島山を回り込みひたすら山越えで、こんなところにあるのかな??

そう思うほどの山間部を 駆け抜けてて 山の中の田んぼを通り抜けたその先に 鬱蒼とした森が現れました。



この鳥居の奥にかすんで見える 神宮がある
荘厳な雰囲気を醸し出す大きな 森林パワーです。



雨降りで夕方 平日ということもあり 人影はほとんどありません。

それがいっそうに 神々しいかったなぁ



見えた!


この奥深い森のなかに 立ち尽くすこの色彩。

あり得ない配色です。

近づくともっとびっくり。



いまなら 普通の配色だけど、この場所にある、古代にあったということを思うと 震えるね。

お守りと 絵馬を購入して 2礼2拍手1礼で 後にしました。


そして 駐車場をでて 山を下りはじめたすぐに ふっと目に入る建物と看板が・・・・・






これは転用した写真ですが、当日は雨で曇ってて この前後は建物があって
一瞬 この看板が見えたんです、建物はこの通り黒くて 見えない

すこし通り過ぎてから・・・・ うーん あれはやはり 蔵かなぁ・・・・

どうしようかなぁぁぁぁ


戻ろうかなぁ


鹿児島に行かないといけないし・・・・・



いまなら 3分でもどれるし。。。





明るい農村! けっこうプレミア焼酎なんだよね


離れれば 離れるほど 後悔が押し寄せてくる! いまなら戻れる・・・・今なら・・・・


結局 ウインカーは出ませんでした(後悔)


この恨みは 鹿児島で晴らしてやると 固い決意を・・・・ははは


そうと決まれば はしっれーーーーーー!!!


次は鹿児島 天文館だ




11

きたきた 鹿児島市 一番の都会ですね。



さしずめ岐阜なら 柳ヶ瀬 ・ 博多なら中州 川端商店街 長崎なら思案橋

ここ鹿児島は 天文館通りですね。

きれいなお店が 延々とつながっていました・・・・が


じつは 屋台村という キーワードを聞いてたので探したんです
それも天文館のなかで

どこを探しても見つからない??



またしても 人に聞きました( すみません 屋台村という村はどこにありますか?)

うーん 村ですか??


二人目にして やっと わかったのが中央駅前だということ

ところが中央駅の場所がわからない・・・・・



なんと
鹿児島には いまだに路面電車がはしっていました。
 
さあ、何十年ぶりかにちんちん電車に乗ろうとおもいます。

道路の真ん中を走り、ところどころに駅がある、そこに待つこと3分・・・ きたぁ!


結構たくさんのお客さんが乗って見えました。
とりあえず乗る前に 隣にいたオッチャンが運転手さんに (中央駅に行くか?)と聞いてくれたので
安心して乗り込みましたが、システムがわからない・・・・


乗車賃は170円と書いてある。
中央駅は3個目。

よし!200円あるし 大丈夫

ここも例外にもれず 外国人の多さにびっくりしながら電車は中央駅に着きました。
順番降り口に向かい 運賃箱に200円を入れました。


少し待ってお釣りをもらおうと思ったら
運転手さんが どうぞ降りてくださいと・・・・・・




はい といってほかのお客が降りたらお釣りをくれると思い
電車から降りて 待ってたら




なんとドアが・・・・



閉まってしまい そのまま電車が

ちん
ちん
ちん
ちん


行ってしまいました


恐ろしい 鹿児島は 電車にもチップがいるんだ
僕の30円は・・・・


しょんぼりして 屋台村に進みました。




鹿児島中央駅前 屋台村

風情いっぱいの 5・6人でいっぱいのお店が なんと 25軒ぎっしり詰まってる。
それぞれが あらゆるジャンルで特徴を掲げて開いています。

毎日でもきたい すごく活気がある 安価なお店がいっぱいです。

最初に入ったお店は 屋台村@番 黒豚横丁



みくちゃん 若干20代 鹿児島美人でかわいい子でした。

この子に 電車の話をして

去っていく電車と 鹿児島はおつりが出ない町だと言ったら  大うけ!!

(入口に換金箱があり そこで170円用意して 降りるときにいれるんですぅ!
私は高校の時に すこし少なめに入れて 乗りましたよ(笑)  )って



黒豚しゃぶしゃぶを いただきながら 30分ぐらいお話をして
会計しましたら 3400円でした。

ここで 4000円出して みくちゃんが横を見てるうちに店を出ました。



雨がかなり降ってて 屋台村も屋根がないので
結構濡れたんですが
次の店で飲んでる最中に大きな声で

(みつけたぁーーー)って


なんと みくちゃんが僕を探して 来てくれました。


(おつり ほら 探したんだから・・・)


ここで一言
(鹿児島はおつりが出ない街だから・・・・ね)

やったぁ おつり600円で うけたぁ・・・・もちろんチップであげちゃいました

楽しいお酒タイムです。




次の店は少し洋風 この子も学生さんでした



ニンニクとチーズとフランスパン!
暖かいスープ おいしかったなぁ




ここは海鮮専門 サバの生が出てたので注文しました



ほら おいしそうでしょ

マグロ・サバ・サヨリ・ウニ・勘八・アジ・と 豪華盛り新鮮でおいしかったし
たしか 800円ぐらい すごく安い



なかには イケメン君もいます
どこのお店も若い子が多く 活気にあふれて 元気です。
おもてなしもうまい。



ここにしかないという 自家製さつま揚げ 枝豆入り
もう 4軒目です



ここは餃子の専門店



黒豚餃子 さっぱりしてて パリパリでしたよ

あのね この屋台村には スタンプラリーがあって
一軒で一つハンコを押してくれる

5個集めると 非売品のグラス



これが一個もらえます。
25個集めると 木製札 ほかにもありましたよ

でもね どうしても 一つはここを 紹介してくれた兄弟にあげたいので
このあと もう5軒 合わせて10軒もめぐり ベロンベロンになっちゃいました。

すごく楽しい時間をすごして
フラフラになりながら
帰りはタクシーでホテルに向かいました。




ほら さすが鹿児島焼酎の国

入口に無料の焼酎ボトル 氷もお湯も水もグラスもなんでも そろっています
なんと 

飲みほうだい!


もう 一杯も口にできないほど いい気分でしたので

グラスに2杯手にしてお部屋にいきました。


おやすみなさい




12


『花は霧島 煙草は国分 燃えて上がるは オハラハー 桜島』

ここはよく聞くフレーズですね、さあ 2番です

『今来たにせどん よかにせどん そだんかけたら はっちこそうな にせどん ハ ヨイ ヨイ ヨイヤサ』
さあ どういう意味でしょうか??

わかるかなぁ・・・


さあ鹿児島から 指宿に向かい 結構山の中のドライブロードを駆け抜けました。
ワインディングロードといっても過言ではないけど 車がいないから 快調に駆け抜けました。

指宿スカイライン有料道路 有料と無料区間のがありました。




この中腹に 錦江台展望台というパーキングがありました。
ちいさな売店と 展望台があり ここで一休み。



この橋の向こうには 桜島が見えるんです、当日は曇り空で いまいちはっきりは見えませんでした。

売店のおばちゃんが丁寧に説明してくれました。



かすかに見える桜島 
このドライブインで ドカティにのった 中年ライダーと話が盛り上がりました。

造園業の社長さんで ハウステンボスの庭を造ってみえるとのことでした。
車やバイクが好きで この有料道路もところどころに 無料区間があり、そこを攻めると面白いとのこと
現在は カブにはまってると言って見えました。

どこでも こういうオヤジライダーが いますね。かっこよかったぁ

ロードスタークラブとか DT−1も持って見えるそうでした。
年代的には 近い人でしたね。


さあ あと少し走って 指宿砂蒸し温泉だぞ



町中に到達して海沿いにはしると 駐車場係員が道に立ち 結構な人が来ていましたね。

さすが南国果ての町 街道にはヤシの木が街路樹に植えてありました。




上からみると 屋根にスダレが覆い 結構な数量が並んでいました。

海はここから見ても 湯気が立ち上り 海岸端もモヤモヤしていました。

下に降りよう・・・・



天気がいいと 海岸でできるんだけど 今日は天候もいまいちで 屋根の下指定でした。



みえるかなぁ・・・・

かなりの高熱の海岸だそうです、近づくことも禁止してありました。
もちろん魚は いないそうです。



テントの中には 砂かけババァ?? ちがう アルバイトの少年が多くいました。
素っ裸で浴衣だけはおり タオルを一枚もって 指定の場所に進みます。



すごいですね、すこし捨てておくと 下から湧いて出る 熱湯!!

安定させるために シートをかけてから 掘り返します。

順番に入るマスが 変わっていきます。



これが 5分もしないうちに 体が熱くなり 汗が噴き出てきました。
ただね まったく動けないので すこし 窮屈だけどね

須永落ちたら 言えばかけてくれます。
10分を目安にしてと書いてありますが、みんな30分ぐらいはいますね。


ここは カメラを持参していき 店員さんに写してもらうといいですね。
次回は 持っていこう




白波の下に熱砂の 隠さるる 不思議に逢えり 指宿に来て
(与謝野晶子)

かなりの昔から ここは利用されていたそうです。
お殿様の 汗も吸い込んでいたんだろうなぁ

しっかり あせも流して リラックスできたので、これから 知覧に走ります。




13



父は姿こそ見えざるも いつでもお前たちを見ている。

よくお母さんの言いつけを守って お母さんに心配をかけないようにしなさい。

そして大きくなったなれば自分の好きな道に進み りっぱな日本人になることです。

人のお父さんを羨(うらや)んではいけませんよ。

「まさのり」「きよこ」のお父さんは 神様になって二人をじっと見ています。

二人仲良く 勉強をして お母さんの仕事を手伝いなさい。

お父さんは「まさのり」「きよこ」の お馬さんにはなれませんけれども 二人仲良くしなさいよ。

父より

知覧記念館資料より

明日には海の藻屑となることが解りながらも、子を想い親を慕い
足元に爆弾を下げて 空へと飛び立つ 最年少が17歳の子供たち・・・

恐怖におののき 足は我が身と震える夜を過ごし
残した家族や恋人に短い文に心のすべてを書き記した 数百枚が
平常の心では読み切ることが出来ない遺書の数々・・・

この歴史の上に僕たちが居るという事に 涙なくしては読めませんでした。

ここの資料館は館内撮影禁止なので 引用写真ですが
十分に伝わると思います。




岐阜も 愛知からも多くの兵隊さんが出ていました。
この人たちの 一枚一枚の遺書を読む事に時間が どれだけあっても足りませんでした。



平日にも関わらず多くの人が見学に来て見えました。
余りに多くの資料や映像があり、一日かけても足りせん。
室内での案内音声ガイド(200円?)ぜひお借りしてみてください。
読むのとは また違う耳からの物語は 心に沁みました。




ホタル

もともとホタルの沢山いた知覧ですが、このホタルの石碑のいみは


ある夜、一人の特攻隊員が「自分は明日特攻し死んでしまうが、

トメさんのところにホタルになって帰ってくるから少し戸を開けておいて」と言い、

トメさんも「わかったよ帰っておいで」と言葉を返した。

次の日、その青年は特攻し返らぬ人となる。

その夜、トメさんの目の前に約束どおり「一匹のホタル」が帰ってきた。

みんなかわいい子達だった(大切な子)
そう言いながら 知覧のお母さんたちはまだ若い兵隊さんを ねぎらい育て守りました。

毎日 死にに行く子供たちを どのような心で送り続けたんでしょう・・・・

余りに悲惨な場所だった事でしょうね。



開聞岳
知覧を飛び立つ特攻機は 何度も何度もこの開聞岳を旋回し
何度も何度も 後ろを振り返り

やがて気持ちを吹っ切るように 南の空に消えていったと記録されています。

どれほどの思いを受け止めてそびえたつんだろう

穴澤大尉には,大学時代に将来を約束した智恵子さんという婚約者がいました。

彼は出撃前に,智恵子さんからマフラーを贈られました。

「神聖な帽子や剣にはなりたくないが,替われるものならあの白いマフラーのように,

いつも離れられない存在になりたい」という彼女の一途な思いに応え,

彼はそのマフラーを彼女の身代わりとして,首に巻いて出撃しました。

二度と繰り返してはいけない!
ありきたりですが、あまりに希薄になりつつある現状ですが

本当にもう一度同じことが起きたなら

今度こそはきちんと口に出して言おうと思う

俺は戦わないと!

今回一番多くの心の揺さぶりをかんじた一日でした。




14

いざ行け 再度の鹿児島から 都城に向けての後半ドライブです。



昼の鹿児島は福岡の街並みに少し似ていますが、福岡は昼でも派手な町で色が明るいけど
鹿児島はすこし 色が暗い落ち着いた街並みです。

西郷隆盛たちがここから維新にむけて出立していきました。
各地に著名な人々がいて そこの土地にいくと人柄がよくわかります。

立場替わればの意味がよくわかりますよね!
そういう見方で日本史を顧みると、結構面白いですよ、ドラマ真田丸がきっかけだとしてもね(笑)



維新ふるさと館
ここには西郷隆盛や大久保 利通が 鹿児島から日本を変革していった
その歴史がジオラマや映像などで 展示してありました。



詳しく見て回ると 時間が足りません。
興味深い施設でした。



外に出ると 西郷隆盛の墓が町のなかにありました。
ここから 山形屋という鹿児島の百貨店にいき、森伊蔵などのプレミア焼酎を購入しようと思いましたが

金と時間が足りませんでした(ははは)
この足で 一路都城に向かいます。
鹿児島から 桜島を回り込みながら、霧島。国分と通り過ぎてわくわくしながら都城に。

都城を宿泊場所に選んだのは、この日はもう土曜日になり鹿児島や観光地にホテルが見つからなくて
宮崎に近いところということで、選びましたが、都城自体は観光地ではありませんでした。


選択としては 霧島温泉でしょうね、でもそこにはビジネスが見当たらないから
一泊ぐらいは 贅沢にね



15



都城から10号線を北上して 宮崎に向かいました。
のどかな山間部を ひたすら走ります、今回の旅で雨に降られる日が ほとんどなくて快適なドライブです。

途中に焼酎蔵があり、そこを目指しました。
なんとそこには レストランや焼酎蔵体験があり、温泉もセットでお土産屋さんもあるということで
10時前についたんですが、、、、、

なんと

なんと

そこはあの有名な雲海酒造でした。




そば焼酎雲海 いいとも焼酎とか あまりにメジャーな蔵が こんな山の中にあるんだという驚き
施設は大型バスが 沢山列をなしていました。

しかし蔵見学は11時からでまだ時間があるので、駐車場の係員の方に聞きました。
(このあたりに見どころはありますか?)

30分で行けることに 吊り橋がありますよって!


これが最大の間違いでした。



さあ





ほら なんか おかしいでしょ・・・・

長さ250m 高さ142m 吊り橋????

これって (冷や汗)


わくわくしながら アクセルが重い(笑)






照葉大吊橋
このリンクに 素晴らしい写真が掲載されていますから 見てください! 僕の言っている意味が解るはずです。ははは



この向こうに なにがしら金属の塔がある
手前の改札で300円を払い 抜けていきます。




吊り橋 日本一と書いてある 石碑が立っています

ほう! 日本一か!! 



なんと 入口には 歩く吊り橋 世界一に替わってる・・・・・

おかしいやろ?

日本一から ここまでくるうちに 世界一になるんだ! 

じゃあ

歩き出すと ・・・・


次は


宇宙T???



階段を上り橋の袂までいくと





なんと 足元が網でできてる・・・
下までは140mですよ 140cmじゃないですよ 142mですよ


ちなみに 僕は 高所恐怖症です(きっぱり)

ここの段階ですでに 少し後悔をしています・・・・


それでも勇気をふりきって 歩きはじめましたが 途中ですごい風がふいて 切れたらとおもうと・・・・

バックステップで 下がりました。

足が震っているんではありませんよ 橋が震っているんです・・・・



子供たちがキャーキャー言いながら 駆けていくのを 見ながら

九州まできて もう二度と来ることもないかもしれない 観光地です。

二度目の勇気を ポケットから引きずり出して

歩きはじめました。。。。。




半分までは行ったんです! 本当に
でもね 足がすくんで 前に進まない・・・

本当にへたれです。


解らないだろうけど 体も震い出し 足が持ち上がらない
弱虫です。


やはりここで戻り いかにもわたりきったような顔で降りました。
ちなみに 向こう岸まで渡ると 帰ってこないとダメなんです・・・・


2度も恐怖を味わう勇気は さっきポケットから落ちました。(爆)



そうして改札口のおばちゃんと またしてもお話しタイムです。

(あのーーーー 300円で渡橋ですよね、僕は半分しか行けなかったので 150円にしてください)

次からは 半分券を 作ってくださいませ!と言っておきましたら


大笑いをされて またお越しください!
もう一度 半分渡られたら 元引けますから 次回はタダでいいですよ!

素敵なおばちゃんでした。

こういうお話が 旅のだいご味ですね。





16

さあ 宮崎海岸にむけて 走ろう!

その前にお昼御飯だ!



宮崎名物 冷汁
いわゆる「味噌汁ぶっかけ飯」の一種で 魚と麦味噌をすり合わせてつくる。
食欲が落ちた夏に 栄養価たっぷりの汁 
 麦飯にかけて、かき込む。

杉の子という 店が有名で 予約してから行くといいみたいでしたが、一人だと大体入店できますね。

美味しかったぁ



さあ GASも満タンで 日南海岸の モアイ像のある公園にむけて走ります。
サンメッセ日南


さすが宮崎南国のまち、左手に海岸をみながら 駆けていきますが
宮崎は 観光地で活気がありました。


しかし

サンメッセ日南という 公園を目指して 進んだんですが
凄い渋滞でした。

公園入口の駐車場で 空待ち状態でしたから 見ずに折り返しましたが


(引用写真)

こういうのが見えるらしいです。

しかし凄い人でした。




海岸線を走ると
とにかく 綺麗でしたし、普通に釣り師たちが 竿を出していました。

磯としては 最高のポイントが すぐそばにあるんです、それも崖を降りていくだけで・・・・
日本海だと 船で磯にわたるという風ですが ここは地続きですね

このあたりに別荘があるなら毎日磯にでるんだろうなぁ


そろそろ この旅も終焉をむかえます、5時までに志布志港に 入ります。



17

いよいよ 九州の旅が終わりを迎えます。
多くの人と出会い 多くの場所に出かけ 多くの地元料理を食べて

大満足の8日間でした。

最後は志布志港から 大阪南港まで 12時間の船旅です



豪華な サンフラワー号です、ビルの8階? 
一番下から エレベータもあります。

思わず先端で 両手をひらいちゃいました・・・・ははは



夕方6時に出て 朝8時にはつきます。
寝ているうちにつきますね

室内の スイートは豪華なワンルームです。



いくらするんだろう??

およそ57000円みたいです・・・・

うーん 食事無いし うーん 



中央のラウンジです、くつろげる場所です おみやげも コンビニもありました。

バイカーがおおく 
僕は 一番安い ツーリストという 宿泊タイプを選択しました。
焼酎をのんで 朝まで爆睡の予定でしたが



この状態です。
なんと お布団は幅60cm ぎっしり敷き詰めてありました。
隣りとの隙間は まったくありません。

寝返りがうてません。

荷物置き場も ありません・・・・



100人ぐらいは寝れるんだろうなぁ

当日は 少ない宿泊人数で 間を空けて 寝る場所を指定してあったので

まあ ゆったりしましたが、混んでいたら最悪状態ですね。

まあ これも旅の楽しみみたいなところです。



夕日が海に 落ちていきます・・・・

楽しかった数日間を振り返り
デッキで 焼酎をあけながら

明日はもう帰るんだな・・・

もう少しまわりたいな・・・・

色々考えながら 本場九州の焼酎に 夢の世界に誘われながら・・・・



あと少しで

明日には


夢からさめる



ロードスターと 駆け抜けた数日が 



ありがとう



また行こうね。





おしまい





おまけ



焼酎が20本 お菓子の数々

お土産は まだあとから とどいちゃう・・・・どうするんだ?





ブンブン丸!

全走行距離 2040km まったく問題もなく
本当に 安心して乗ることが出来ました。
また 一緒に遊びに行こうね



 

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