蘇水峡

近々に水没するという 丸山ダムの沿道に出かけました。

木曽川添いの林道も落盤の為に 笠置ダムで通行止め状態
ダムの水位が上がり 道路も水の中に消えていくらしい・・・

蘇水峡の前には 崩れ落ちた橋脚が 見えない橋を支えていました。
インディージョーンズの主人公なら わたるんだろうなぁ・・・



向こうに見えるのが 入口のようです。
すこし空気が 重くなってきました。

お日様はちゃんと照らしてくれているのに
なにか 寒い



どうもこういう場面は 
千と千尋の物語で 千尋が最初に通り抜ける
トンネルのような気がしてなりません。

ほとんど車なんか見ていません
人影もありません

トンネルの中は 電気もついていません・・・・

抜けたら 戻れるんだろうかなぁ
すこし 怖い




ほら 抜けた途端この景色!
人影もない 独り占めの秋景色。

静寂の中の 季節の動きが 手の中にあります。



深い というには あまりに 多くの樹木が色を重ねていました。

手前の一本のきが まるで仲間はずれな 空間を出していましたが
僕のちっちゃなカメラでは 表現できません。




新しい橋ができていました 
あと少しで繫がるところでした。



ほら あとすこし・・・・
記録的な場面だと 思わない??




さあ すこし此処を抜けて 今日は中山道路を走ってみようと
ダム湖から山を目指して かけていきます。

ナビも無い 地図も無い 人さえ居ない もちろん人もサルも

どうやって行けばいいんだ???

まあ地球はつながってるからいいか!!
TAKE IT EAZY



途中にね かわいい高校生が法被を着てね 道案内をしてたんだ
( なんかあるの?? ) そう聞いたら 
今日は毎年行われる細久手宿と 御嶽宿の間を歩くイベントです
中山道往来 なかせんどううぉ~く2016 
多くの人が ウオーキングを楽しんでいました。

もともとこの宿場町は 東隣りの大湫宿と西隣りの御嶽宿の両宿間が 4.5里もあり
(今なら 18km ぐらい? )
かなり遠いので 途中から宿場町として出来上がったらしい。



むかしね、大竹しのぶが 和宮お留 ?という映画にでてた
僕はそれを見て 結構衝撃的でした!

幼くして 無理な政治戦略で結婚を強いられた 姫様が気がふれていく
詳しくは覚えてはいませんが、非人道的なことが まかり通っていたんだね。

この御輿に乗って中山道をひたすら行軍したんですね。

歴史と時間がここに立ち止まっています。
けっこう好きな時間でした。



一年に一度ウオーキングをしていますと 紹介されました。
村の人たちが お土産や食べ物を出していました。

五平餅と 混ぜご飯!(これは鳥が入っていたので買いませんでしたが)



ほら 美味しそうでしょ!!
いくらだと思う??

普通は安くて300円~だよね でもね

なんと 

なんと

150円でした

思わず2本も購入しちゃった!!
尚且つ お茶が一本50円!!!


思わず箱買い しかけましたが、積めません(笑)



村はずれの空き地に 看板が出ていました。

細久手宿 高札場跡
徳川時代 禁止令  掟書き などを掲示した場所である。
重罪人のさらし首や 罪状書も 掲げられた跡地である。



そのむかし 遠く江戸幕府所在地からも 遠く離れた地域で
幕府の役人がいたとしても おそらく地域の人が幕府の言いなりになり
治安をしていたんだと思うと いかに日本人は忠実な人種なんだなとおもいました。

反旗を翻し戦いに向かっていったら どうなったんだろう?
人が人を裁く それも力という見えないものに支配されてて

多くの人々が冤罪や無実でも 殺戮されてきたんだろうな!!



道端にある すこしの空き地!
ここに さらし首があがって いたとおもうと
すこし 背中が・・・・・(湿布薬はってたわ)

立ち止まると 時間が戻るから面白いね。



細久手宿から つぎは 大湫宿(むかしは 大久手宿と書いたらしい)

坂道が多く難所だったらしい。



「 角松は冥土の旅の一里塚 」
そんな言葉がありますね、 一里塚とは、4キロごとに 目印としてあったみたいです。
旅人が ここで一休みをしながら つぎの宿に向かう道標です。

沢山あったみたいですが どんどんとなくなりこのような完全な形は珍しい。





一周してみたけど かなり大きい。
看板も無く 道標としてはわかりやすく 心が休まる場所なんでしょうね。

知らない事が多くあります。



山を越えて たどり着きました、大湫宿



高札場 細久手に比べるとかなり大きい!
いかに幕府の権限と この村の重要性がでていますね



神明神社の大杉 樹齢1300年
目を見張るようなたかさと 覆いかぶさる荘厳な杉の木でした。

江戸時代にも多くの旅人が 足を止め参拝したそうです。
1300年ものあいだ 人々の暮らしを見てきたんですね。



この太さが 驚きです。
見上げると その高さが天を突くようです。
昔の人は 驚いたんでしょうね!

いまほど通信方法がないから 口伝だけだとおもいます。
だから 浮世絵の広重 などが持て囃されたんでしょうね。




面影をのこした 古い旅館でした、その前には 陣屋が立っていましたが
朽ち果てて 入室禁止でしたが 
豪華な作りでした。


山を越え 谷も越え 中山道をひた走りました。
次は 大井宿 (恵那市)

ここは何度も行ったので、今回は 此処から折り返して武並村から 
今回の目的の笠置ダム方面にむかい 通行止めの川沿いにむかいます。



向こうに見える 赤い橋が武並橋
そこから進んできましたよ

この道路が水に沈むそうです。
まだ家が数件あるんですが、ずーっと先の話なんでしょうね。



この先に進むと 落石で通行止めと書いてありました。
先にはダムがあるはずです・・・

このさきは 道幅も狭くなってて すこし不安ですが 進んでみます。



綺麗でしょ!!
これぞ 日本画の世界ですね、広重が書き記した
中山道の浮世絵にでてくる 風景画みたいですね




ここが最終地点です、この先がもしすすめたら すぐに八百津につながるんだけどな

今日はここまで 130km 走っています。
20k/L ぐらいは走るので 8Lは 入るから160kは 走れるはずだけど
なんどもタンクを 覗いています。

まだまだ 先は長いけど、この先山間部に突入しますから
GSが 無いのは当然です・・・・

きれたら どうしよう??
迎えに来てくれる 友人は きっと電話に出ないだろうな・・・

恐ろしい・・・・





よく 走ってくれました。

トルクも高く 抜けもなく 粘りも抜群

本当によく輝いています。

僕が12歳の時に 発売されたバイクです。 50年を超えた鉄の馬
もうすこし 乗ろうと思います。素敵な相棒に成れるまでね。



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